【読書】未来の年表/河合雅司/講談社現代新書

日本の少子高齢化について将来どんなことが起きるのかについて時系列で書かれた年表。

後半には著者の考えた少子高齢化対策について書かれている。

 

2017年から2065年まで、少子高齢化によって引き起こされるであろう20のトピックについて、書かれている。

その中で3つのトピックを挙げてみたい。

 

いきなりの余談で恐縮ですが、私がこの本を購入した時点で、「12万部突破」と書かれている。

(私が買ったのは第9刷)

ある程度日本の人口に対し危機感を抱いている人が多いという風にも捉えられるが、もう100倍くらい売れてほしいところ。120万部でも人口の1%にしかならない・・・。

 

 

 

2017年 おばあちゃん大国に変化

 

2017年には2016年にピークを迎えた65~74歳人口が減り始める。そして2018年には75歳以上の人口が65~74歳人口を上回る。75歳以上はその後もひたすら増え続け、2055年ごろには4人に1人が該当するようになる。今後の日本の高齢社会とは「高齢者」の高齢化が進んでいく社会でもあるのだ。

 

このブログを書いているのは2018年ですからすでに「高齢者の高齢化」時代ですね。

 

 

 

 

2021年 介護離職が大量発生する

 

50台に突入するころから親の介護に直面する人はぐっと増えてくる。

これを裏付けるのが厚生労働省のデータだ。年齢階層別要介護認定者率は65~69歳が3%

70~74歳が6%、75~79歳が14%、80~84歳が29%、85~89歳が50%というのだ。50代とは自分の親が要介護認定を受ける年齢に入り始めるころだということである。

 

それに続き

 

これ医者数の増加に伴い、介護保険の利用者数は年々ハイペースで伸びてきた。制度発足当初の2000年に3兆6000億円だった介護保険の総費用額は2016年度は10兆4000億円となり、2025年度には現在の2倍以上である21兆円程度に膨らむ見通しだ。(厚生労働省の試算)

 

 

これは2つの意味で重い。現在時点で介護従事者は不足している。

つまり、現役世代のさらに多くが介護で労働リソースを奪われてしまう。

つまり

1.増税による現役世代の手取り削減

2.介護離職・在宅介護により現役世代の労働力が奪われる。

 

 

 

2023年企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる。

 

 

このトピックでは前半部分を抜き出してみる。

※後半部分では団塊ジュニアが50代になる点と退職者が増える点から、人件費の圧迫について書かれている。

やせ細った若者が丸々と太った高齢者を担ぐ

若者3人が高齢者1人を支える「騎馬戦型社会」から、いずれマンツーマンで支えなければならない「肩車型社会」へと転換するというたとえ話がかつて盛んに語られた。

(中略)

この問題の本質は、支えての数が減ることだけにあるのではない。「肩車」の上に乗る高齢者の”体重”がずしりとのしかかるのである。高齢者の総数が増える分、年金や医療・介護にかかる総費用も上昇する。

(中略)

一方「肩車を下支えする若者はといえば、人数が激減するだけでも大変なのにその足腰は弱い。非正規労働者が増大し、就職できずに親の支援を受けている人は珍しくなく親が亡くなった途端、生活保護という人もいる。

(中略)

「肩車型社会」というのはやせ細った若者が顔を真っ赤にして丸々と太った高齢者を担ぎ上げている姿なのである。

 

中略中略で恐縮ですが、最後の”やせ細った若者が顔を真っ赤にして丸々太った高齢者を担ぎ上げている姿”の一文が大変秀逸である。もし屈強な若者が、高齢者を支えているなら問題は小さい。(小さいか?)

然し、上記引用にもあるように、ガリガリ栄養失調の若者が、丸々太った高齢者を支えるの図が思い浮かぶのだ。

 

いらすとや様よりお借りしました。

 

(この図はまだマシに見える。)

 

 

それ以外にもこの本には、1/3が空き家になる。自治体の半数が消滅するなど、

ショッキングな内容が書かれている。

 

 

この本を読むまでもなく思っていたことであるが、おそらく今後も税負担は増え続けるであろう。

それだけでなく、労働力は不足していくだけでなく、その貴重な労働力の一部は介護(賃金がもらえるならまだしも、待機介護者の介護に振り分けられれば尚、労働力の減少に拍車がかかるであろう)に振り分けられ続ける。そしてそのスピードは2020年代半ばより加速していく。

改めて記事を作ろうと思っているが日本の税負担はどのように推移して来たかについても調べてみたい。

 

 

 

最後にこの本では日本を救う処方箋を著者が提言しているか、私は著者の考えに否定的です。

正確に言えば私の考えは、「もう詰んでない?」というあきらめの気持ちが強いからです。

医者風に言えば、末期癌患者に対し

「どうしてこうなるまで放っておいたのだ!」

と、年上に恨み節の一つでも言いたいものであり、言ったところで現状が好転するものでもない。

 

 

参考

未来の年表/河合雅司/講談社現代新書